№6 - 元伊勢崎清明主将が歩む道《前編》
久々の投稿となりました!
皆さん、お元気ですか?!
人数制限とソーシャルディスタンスをしっかりと取って部活動をしているようです。
私は、
24時間テレビが終われば、夏終わりって毎年感じます!
そして、
高校野球は終わってしまい、まだ引退していない部活選手もいますが、
いよいよ高校生は進路を考える時期になってきました💥
社会人として働く(又は競技継続する)のか、
大学で競技継続(又は勉強)するのか、
専門学校で専門職資格を取るのか、
と、進路の選択はたくさんあります。私は少しだけ後悔している部分はあります"(-""-)"
しいて言うなら、教員免許を取りたいという欲望だけで将来を考えなかったことですかね。
4年前の自分に言ってあげたいことはありましたね…
まぁ、そんなことを振り返りながら、
1年前に私の後輩が 航空自衛隊 になりたいと 夢を抱き 、猛勉強していたんです!
そう、今回は
高校球児が決めた特別な道【前編】
について話を聞くことが出来ました!(^^♪
彼は、1年前の夏の大会まで伊勢崎清明野球部主将でした。
同中の3つ下の後輩の
小倉 翔伍(おぐら しょうご) 君です!
伊勢崎北選抜のメンバーとして東日本大会優勝を果たし、伊勢崎市スポーツ協会で表彰されたのは覚えています!
なぜなら、私も母の表彰で現場にい…て…。
前橋商業サッカー部の 木村海斗 君も伊勢崎市スポーツ協会からの表彰を受け、現在は国士舘でサッカーをしています。
彼も同中で仲良くしてもらったんです💚
最近は予定が合わず…(´・ω・`)
翔伍は、その後
地元では力を付け始め、実力ある選手が多く進学をするようになった
伊勢崎清明高校野球部に入部し、
2年次には大会の応援団長を務めていました!
両写真撮影:上野航平(敷島球場)
翔伍の代になった時には、主将を任され、
大所帯の応援団を引っ張ってきた次は、チームのリーダーに!
私は、この知らせを聞いたとき「まじか!」と思っていましたよ、正直!(笑)
でも、彼は責任感と正義感が強い子です😁
中学から周りの先生、部員から信頼は厚かったです!
兄(ゆうき)とホントに同じ性格で、すけど…(笑)
翔伍の最後の夏(2019年、101回)の大会も利根商業に2回戦で負けてしまい、彼自身、満足のいく結果は出せなかったそうです。。
試合後、翔伍は上毛新聞社の取材に対し、「人生に生かせる野球生活だった。」と話していました。
しかし、彼はこの裏では、
高校野球の敗戦から、
「野球でケガをして、結果も残せなくて、ほんとに野球が嫌いになった」
と、胸の内を話していました。
そこから、彼は「諦めも大切」だと感じ、野球を続ける道を選びませんでした。
そこで、翔伍が選んだ道は…
そう!
国 防 !!
私は、これを聞いたときは驚きでしたね!( *´艸`)
彼の頭の中には、もう警察か消防か自衛隊の3つの選択肢しかなく、「警察は恨まれることがあるし(笑)、消防は地域にしか貢献できないしと思って、自衛隊を選びました」と言っていました!
私「翔伍は戦争にも行くんでしょ?翔伍心配だよ!(笑)」
翔伍「いや、自分は消防の救難です!」
私「海猿でいう、特殊救難隊(マジで海猿の用語は入ってくる(笑))みたいな感じ?(笑)」
翔伍「あーそんな感じです!海上自衛隊も行けないところに行くんですよ!」
「正直、めちゃくちゃ怖いですよ!」
と、いつも強気な翔伍が弱気な一面を見せましたね💦
大会負けた後から、参考書を買い、
1日10時間以上勉強をしたそうです!
常に勉強の日々を送っていたそうです!
本当に私が尊敬している後輩です!
もちろん、彼だけが高校から国防を選んでいるわけではありません。
自衛隊を目指している高校生・大学生は少なくありません。
小学校で一緒に野球していた仲間も高校から自衛隊への道を選び、今は駐屯地に勤務しています。彼とは年賀状で年一度やり取りをし、近況を伺っております💦😆
自衛隊は国から「いつ」「どんな」「どこへ」指令が出るかわからず、生死の分け目にいます。
私はよくYouTubeでこの動画を見ます。
災害救助に向かう自衛隊の思いを石破氏が闘論している場面です。
私たち国民も災害で自衛隊に助けられている場面は報道だけでなく、いろんな情報網において目撃しております。
もちろん、自衛隊にも家族はいます。
しかし、自衛隊は何か日本であったとき、自分たちの家族を救うことは出来るとは限りません。
それはなぜか、、(後編へ続く)
そして、小倉 翔伍 君は
「なぜ、空を選んだのか」
こちらを後編でお伝えしていきます!
この写真の秘密もお伝えしていきます(*^-^*)
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